冠婚葬祭マニュアルにはどんなことが書いてあったのだろう。この時期の本に、葬式のページは極端に少ない。あるいは、まったくない。忌服の期間、死亡通知状や悔やみ状の手本に続いて出てくるのは、こんな記述だ。何事を措いても第一番に必要なものは医師の診断書であります。診断書を貰って区役所とか、田舎なら役場へ行って死亡届をし、埋葬書を貰って今度は警察へ行って其の旨を届けます。それで宜いとなれば、其の埋葬書は火葬場へ行くとか、寺院へ送るまでは大切に持って居ります。一方は葬儀社へ行って総ての取極めをします。そして其の足で菩提寺へ行って委細を頼みます。すると住職は其の約束に依って宜しく取計うて呉れます。(小平久馬『日本婚礼式』一九二九年)これだけだ。警察に届けるという以外は現在とほぼいっしょ。診断書と死亡届が強調されるあたりに近代の匂いがするものの、具体的な次第については「宜しく取計うて呉れます」といたって素っ気ない。
長寿銭には、長寿の老人がこの世を去るに際して、幸運を周囲の人たちにふりまいているという発想が見られる。これは老人の祝事と共通していることになろう。そういうことを考えるとこの世を去ろうとする老人の霊魂はますます元気で、ふたたび何らかの形でこの世に戻る活力を残しているといってよいのではないか。民話で語られている老人の若返りのモチーフは、まさに生まれかわりをする霊魂のことを巧みにとりいれているのかも知れない。それは不思議な水を飲んで、老人が赤ん坊に若返ったという話である。お爺さんとお婆さんがいた。お爺さんが山で働いていると、のどか乾いたので近くの清水を飲んだ。すると急に若返ってきて若者になってしまう。家に帰るとお婆さんはその姿をみてびっくりして、自分も若返りたいと思い山へ行った。しかしなかなか戻ってこないので、お爺さんが様子を見に行ったらば、お婆さんは清水を飲み過ぎて赤ん坊になっていたというのである。この民話は欲張り婆さんの結末も面白いが、若返りの水は、正月元旦の若水と軌を一にしている。お婆さんが赤ん坊になっているのが元日であったとする地方もあるので、若水が人間に不死を与えていることになる。人間は年をとり、時間が過ぎればやがて老化して行き、死に至るという自然の道理があるのに対して、毎年元日に年を重ねながらも、つねに赤子に戻り、不死を維持しようとする。これは若水の霊力によるものであり、いわば日本文化の根っ子にある考え方にもとづいているといえよう。若水が永遠の生命の契機になっていることを考えてみると、水が命を永続させる力をもっていることに対して、さまざまな想像がはたらくのである。
「明日、直接打ち合わせ先へ行ってください」というメールが、職場で真後ろにいる上司から届いたという人の話を聞いたが、最近ではこういう話が少なくない。社内では、用件は相手に直接話しにいくことが基本。メールはそれができない場合の代わりの手段だ。最低でも目と目を合わせて話ができる範囲、声をかければ届く範囲の人にメールを送るのは失礼。これは部下から上司はもちろん、上司から部下でも同じこと。パソコンには手間を省くための機能が満載。たとえば「いつも」と打つだけで「いつもお世話になっております」などと、ビジネス文書の言い回しが自動的に出てくるが、便利に使いすぎて形式的なメールにならないよう気をつけよう。別の人に送信ずみのメールを、コピー&ペーストして使うときも要注意。「○○様におかれましては……」と別の人の名前が残ったまま送信し、手抜きをした感じが相手を不愉快にさせることも起こりうる。
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